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アトピー・不妊治療のウエマツ薬局
  • ある若い女性薬剤師の物語・12

    2014年2月12日

    これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。

    その12、患者さんからの応援

     

     

     

     

     

     

    いつも元気だった人の死は多くの方に衝撃を与えました。

    ある中国の漢方専門医は

    「日本の中医学の損失です」とおっしゃいました。

     

    葬儀には2日間で400人近い方が全国から見えました。

    またお店のお客様も100人以上の方がお花を持ってお悔みに来てくださいました。

     

    何も言わずにただ泣きながらお花を持ってきてくださるお客さまに、一番心が慰められました。

    そして「孫が大きくなるまで頑張ります。あと20年」

    「えっ!おいくつになります?」

    「美容家の山野愛子さんは92歳まで現役で頑張ったそうですよ」

    「お互いに頑張りましょうね」などと励ましあっています。

    * *次回は「その13、出会い」です。* *

     

     

  • ある若い女性薬剤師の物語・11

    2014年2月12日

    これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。

    その11、母の想い

     

    愛する娘を亡くし、この2年間は悲しみでいっぱいで、

    ほとんど心ここにあらず、といった感じですごしてきました。

    亡くして初めてその存在の占める大きさを感じました。

     

    亡くした当初は空を見あげれば娘の顔がいつもぽっかりと大きく浮かび、

    月を見れば月の中にかぐや姫のように娘がいるような気がしました。

     

    早春のある日、麦畑を歩いているとピピピーとヒバリの声、

    娘がヒバリに姿を変えて

    「おかあさん!」と呼んでいるような気がして、

    思わず娘の名前を呼びながらヒバリを追いかけました。

    ヒバリは高く高く空に舞い上がり雲の中に消えていきました。

    テレビも新聞も心の中に入っていきませんでした。

     

     

     

     

     

     

     

    娘が担当していた患者さんを引き継ぎ、カルテに娘の字をみると涙が出て、

    その患者さんが帰るとそっと泣いていました。

    瞑想をしたり、写経に行ったり。

    「どうして死んでしまったの」という想いが一時も離れませんでした。

    この悲しみからどうしたら逃れられるだろうか。

     

    その時はそれが最善だった。

    悩みはすこしずつ断ち切れていく。

    他のことをしていることで断ち切れていく。

    今、しなければならないことを、一生懸命やる。

    その人を思い出すことをしない。

     

    この言葉はМの患者さんだった、あるお坊さんからの教えです。

    この言葉を書いた紙を洗面所に貼って毎日心に刻みました。

     

    そして思ったのは今までの人生は自分のことだけで一杯で、

    他人の苦しみ、悲しみまでは自分のことのようには思いやれなかった。

    しかし、お釈迦様や浄土宗を作った法然さん、浄土真宗を作った親鸞、

    中国まで修行に行った空海、禅宗を作った道元、

    どの方も人々の苦しみをどうしたら救えるのだろうか、と苦しい修行を積まれました。

     

    人のために苦しい修行をするなんて今まで考えもしませんでした。

    しかし、このような偉大な方が修行の果てに悟ったことは

    きっと意味があるだろう、と娘を亡くして始めて気づきました。

     

    そして心の平安を求めていろいろな本を読みました。

    震災以後多くの「こころ」の本が売れています。

    多くの人がそれぞれ悲しみ、苦しみを抱えて生きているのでしょう。

     

    般若心経の解説を幾冊も読み、はじめはわかりませんでしたが、

    なんとなくよいことを書いてある、と感じるようになりました。

    「何も考えない。昨日のことは考えない、

    明日のことも思いわずらわない、今のことだけを一生懸命する」という教え。

     

    2000年も人々が「ギャーテイギャーテイ、ハラギャテイ・・」と連綿と唱えている、

    ということはすごいことです。自分の心を無にして唱えるようにしています。

    娘は本当に明るく楽しい人でした。

    いっぱい幸せをもらいました。

    そしてまた、このようなことを人生で始めて気づかせてくれた娘に感謝しました。

     

    きっと娘は「おかあさん、のんきに暮らしていてはだめよ」

    と私に言いたかったかもしれない、と思ったりしました。

     

    この地球からいなくなっても、魂は消えません。

    この明るく元気な人は、宇宙のどこかで楽しそうに私たちを見守っていると思います。

    振り返っても仕方がない。人のために尽くしながら、感謝の心を持って、前向きに生きていく。

     

    当たり前のこのことがようやくわかりかけました。

    私には私のことを心配してくれる家族がいます。

    そして漢方の相談を求めて多くの患者さんがいらしています。

     

    その方たち一人一人が自分の家族、子供だと思い、

    精一杯慈しみの心で接していきたいと思っています。

    * *次回は、「その12、患者さんからの応援」です。* *

     

     

  • ある若い女性薬剤師の物語・10

    2014年2月11日 ,

    これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。

    その10、痛みは体の信号

     

    中医学では「痛みは体の信号」といいます。

    生理痛は一般に生理痛があるとき鎮痛剤を飲めば収まってしまうので、

    医療関係者も一般の人もあまり重要視しない傾向にあります。

    しかしMの死を通してこんなこともあるのだと多くの人に知ってほしいのです。

    痛みには痛みを起こす原因が必ずあります。

    決して軽く見ないように。

     

     

     

     

     

     

    生理痛でも命を落とすことがあるのです。

    あまりの痛みに腫瘍なども疑ったのですが、腫瘍マーカーも正常でした。

     

    しかし、なくなってから親しいある医師に

    「どうして内科に連れて行かなかったの」と言われ、

    婦人科だと思い込んでいた自分のうかつに愕然としました。

     

    なにより悔やまれるのはなぜ病院任せにしてしまったのだろうか、と言うことです。

    自分が医療の関係者でありながら、

    子宮内のことは内診をする医者でなければ部外者にはわからない、

    といった思い込みがあったのです。

     

    その自責の念からこの文を読んでくださっている方々に伝えたいこと。

    それは自分の病気、家族の病気を病院任せにしないことです。

     

    おかしいと思ったら、徹底的に調べ、自分で自分の体を守らなければならない。

    医療は決して万能ではない。

    西洋医学はせいぜい100年の歴史しかないのです。

     

    今でも毎日仏前で「ごめんね」と謝り続けています。

    またある医療関係者からは

    「どうしてもっと詳しい検査をしなかったの」と言われました。

     

    これらの言葉はすべて心臓に突き刺さるようでした。

    亡くなってから言われても私にはどうすることもできません。

    人は残念な気持ちの余り、ついこのような言葉を吐きがちです。

    それがどんなに遺族の心を傷つけることか。

    私も言われて初めて気づき、自分はこれからは、心してお悔やみをしようと思いました。

    * *次回は「その11、母の想い」です。* *

  • ある若い女性薬剤師の物語・9

    2014年2月11日 , ,

    これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。

    その9、仲間の応援

     

     

     

     

     

     

     

    入院したその日のうちに、元の同僚の薬剤師さんたち7,8人が集まってくれました。

    また、当時一緒にチームを組んでいた看護師長や医師たち、多くの方が激励に訪れてくれました。

     

    退職して12,3年になるというのに、当時の仲間たち、

    ほかの病院に移った人達も来てくださいました。

    職場の仲間と言うのは競争相手でもあります。

    その人たちが集まって千羽鶴を毎日折ってくださる姿に、

    当時の職場の雰囲気がよかったのだろう、と思われました。

    Mは幸せな人だと思いました。

     

    しかし日本でも有数の最新の技術を誇るこの病院でも、

    祈るしかほかに手立てはないのだろうか、と思いました。

    入院したその日も、外で泣いている親しかった先輩薬剤師の姿を見かけ、

    覚悟を決めたものです。

     

    本当に病院を挙げて応援してくださいました。

    どんなに感謝をしてもしきれません。

    しかし、このような結果になってしまって、みなさんさぞ力を落とし、

    虚無感にさいなまれたことではないでしょうか。

     

    娘が倒れた原因が分かった時、だれも医師を非難する言葉を出しませんでした。

    彼は彼なりに一生懸命診察してくれたはずですから。

    私は生理の出血が続いていた時、

    子宮内膜に傷がついて、そこに大腸菌などがつき細菌の細胞壁についているエンドトキシンが、

    体内に入り、エンドトキシンショックを起こし敗血症になったのではないか、と考えました。

    貧血で免疫も落ちていたのかもしれません。

     

    不妊症でエンドトキシン月経血を調べる検査があります。

    子宮内にエンドトキシンが存在する可能性は十分考えられたはずです。

     

    入院した板橋救命救急センターの医師は

    「婦人科では細菌で命を落とす人が多い」とおっしゃっていました。

    私は専門家ではないので、エコーでどの程度詳しく判明するのかわかりません。

     

    医師がエコーで見たとき、月経血と膿を見分けることは難しかったのだろうか。

    激しい痛みにどうして婦人科以外の原因を疑わなかったのか。

    疑問を抱かなかったことが、Mの死につながったのではないかと思います。

     

    疑問を持ってほかの検査をしていれば、細菌や化膿があることが分かったと思います。

    あるいは診察当日は異常がなくても、細菌が増える可能性があり、

    命の危険もあるかもしれない、と伝えてくれたら対処の仕様があったかもしれないのです。

    彼に対してそれだけが悔やまれます。

     

    医師個人の技量だけに頼らないで普遍的に診断、治療ができるように

    医学がもっともっと進歩してほしい、とその時私は切に願いました。

     

    高度な文明をもった人間が、インフルエンザや肺炎などのウイルスや細菌のような、

    小さな生き物に、あっけなくやられてしまうことに、

    まだまだ医学は発展していないことに思い知らされる思いです。

    * *次回は「その10、痛みは体の信号」です。* *

     

     

  • ある若い女性薬剤師の物語・8

    2014年2月10日

    これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。

    その8 、突然の死

     

    1月にインフルエンザに罹ったあと、生理の出血が止まらなくなり、

    ピルで出血を抑えたあとひどい生理痛が始まりました。

     

    顔色も青くなり、おなかを押さえながら患者さんの相談にのっていました。

    生理中以外でも痛むのは、おかしいから早く病院で診てもらうよう言いました。

    しかし、長女の妊娠以来かかっている大学の産婦人科教授をとても信頼していましたので、

    予約がある1か月先まで鎮痛剤を飲んで我慢しながら仕事をしていました。

     

    私は、その間不安にさいなまれていました。

    そしてやっと予約の4月9日、病院に行きましたら、その先生は転勤されていて、

    ほかの教授が見てくれました。

     

     

     

     

     

     

     

    血液検査も特に異常がなく、

    「エコーでは月経血がたまっていて出そうとして痛みを起こしている、」という診断でした。

     

    そしてそれほど痛むなら子宮を全摘する以外はない、と言われ、

    第2子を希望していた彼女は、それは決心がつかない、とほかの病院を探し始めていた4月21日、

    突然意識を失い、元の勤務先日大板橋病院の救命救急センターに担ぎ込まれました。

     

    倒れる前日まで、国際薬膳師の受験勉強をし、結婚式にも出席していました。

    40度の発熱と血圧が極度に低下し30しかない、敗血症の疑いがある。

    多臓器不全で死亡するだろう、と言われました。

     

    全身の粘膜から出血しているので原因を調べたい、と腹部の切開をし、

    子宮からマヨネーズのような3cm大の黄色い膿の塊が出てきました。

     

    抗生物質も全く効果がなく、毎日全身から出血が続き、

    出血をおさえるガーゼを交換するため5回も開腹手術をしました。

     

    その間出血が止まらないのに止血剤が使えない、

    全身の微小血管内で血液の凝固が起こる播種性(はしゅせい)血管内凝固が始まり、

    ただ出血をおさえるガーゼを交換する開腹手術しか手立てがないようでした。

     

    私は中国へ何度も行って、中医学(漢方)を長年勉強してきました。

    漢方薬には止血しながら体内の血栓を溶かすものがあります。

    また中国では漢方薬の点滴や注射が日常使われています。

     

    何とか漢方薬を使えないか病院に相談してみましたが、

    意識がない段階では無理だと言われ、使えませんでした。

    漢方薬が日本でも点滴や注射になっていたら少しは役立ったかもしれない、と無念です。

     

    しかし病院挙げての必死の治療のためか、知人の気功師が病院に来て、

    一生懸命気功をやってくださったおかげか、今考えると不思議ですが一時は意識を回復し、

    4歳になったばかりの子供の歌声と「ママ、がんばってー」というスマートホンの声に耳を傾け、

    希望が出てきたこともありました。

     

    5月10日の妹の誕生日もがんばってくれて迎えることができたのですが、

    その翌日5月11日さすがに元気な人も力尽きて亡くなりました。

    化膿したところから猛毒のエンドトキシンが全身に回った、

    エンドトキシンショックによる敗血症でした。

     

     

     

     

     

    死の恐怖も苦しみもなく、すっと魂が体から抜けていったような感じでした。

     

    ・・・・翌5月12日の母の日。

    彼女が生前頼んであったハイビスカスの鉢植えが

    「おかあさん、ありがとう」という彼女の手書きのメッセージカードと一緒に我が家に届きました。

     

    毎年無事に冬越しし、夏の太陽に負けない、

    彼女のような真っ赤な大輪が毎年夏になるとたくさん咲き続けています。

    (写真説明 彼女が贈ってくれて3年目のハイビスカス)

    * *次回は「その9、仲間の応援」です。* *

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