ある若い女性薬剤師の物語 埼玉県川越市の漢方薬局 | 漢方でアトピー改善!「ウエマツ薬局」

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ある若い女性薬剤師の物語

  • ある若い女性薬剤師の物語・3

    これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。

    その3 MRSAの研究、脳低温療法の研究手伝い

     

    病院時代は24時間勤務で朝9時に出勤すると翌朝9時に終了という厳しいものでした。

    しかし、大学出たての若さあふれる彼女にとっては

    朝9時に終了するとその日一日遊べると喜んでいました。

    あるときは、そのままスキーに出かけてまた勤務といったことがあり、

    周囲を呆れさせました。

    さすがにしばらくしましたら遊びには出かけなくなりました。

     

     

     

     

     

     

     

    (写真 大学病院時代)

    仕事は当時薬剤師としては初めての病棟薬剤師の仕事をはじめました。

    患者さんに薬の飲み方などの説明をするのですが、

    患者さんに明るいキャラクターが受け、

    彼女の来るのを心待ちにしている患者さんが多かったようです。

     

    薬剤師は30名ほどいて、新米はM一人だけ。

    皆が「Mちゃんお願いね」と雑多な仕事を持ってきて、

    とても一日で終わりそうもない仕事量で、あるとき泣いてしまったそうです。

    「Mでも泣くのか」と言われたそうです。

     

    その後は、救命救急センターの集中治療室に薬剤師のブースができ、

    そこでMRSAにかかった患者さんに、抗生物質バンコマイシンを点滴する際の

    薬剤の血中濃度を測る仕事を任されました。

     

    MRSAとは、多くのペニシリン系やセフェム系薬に耐性を示す黄色ブドウ球菌株のことで、

    当時これで死亡する患者さんが多く騒がれた細菌です。

     

    唯一有効な抗生物質のバンコマイシンの有効濃度と中毒濃度が接近しているので、

    点滴をする際、その濃度を決めるのがとても大変だったのです。

     

    そのため集中治療室で患者さんの血液を採って即、

    血中濃度を測り必要なバンコマイシンの濃度を決定するのです。

     

    薬剤師の能力を発揮する有意義な仕事でした。

    この厳しい職場では

    「明るく、前向きな姿勢、愚痴や悪口を言わない」がモットーだったそうです。

     

    その後も学会にいくつもの研究を発表したり、

    ある時は「脳低温療法」で脳医学者として

    世界的に有名な林成之教授のチームに加わったこともあります。

     

    「脳低温療法」は重症の患者さんの腫れあがった脳を冷やすことで

    脳神経細胞を保護し脳死を防ぐ療法です。

    元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏がこの方法で救われています。

     

    大学時代勉強しながらモデルをやった馬力が、病院時代は研究発表の馬力に変わり、

    大いに薬剤師として充実した時期だったと思われます。

    30人の先輩薬剤師にもまれ、大変だ、大変だと言っていたにもかかわらず、

    神戸で結婚式を挙げたときはその先輩たちが泊まりがけで5人も来てくださり、

    手作りのブーケやカードを作ってくださいました。

     

    そして大変だったけれども、

    この愛した日大板橋附属病院救命救急センターの集中治療室で

    皆に見守られながら亡くなるとは、だれが想像したでしょう。

    次回は「その4 中医学の道に進む」です。

  • ある若い女性薬剤師の物語・2

    2014年2月5日 ,

    これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。 

    その2 日大板橋病院救命救急センター時代・・笑い声で採用される。

     

    就職先を考え私の恩師 東京理科大学薬学部の教授 辰野高士先生に相談しました。

    当時辰野先生は日本の薬学の教育関係の教育関係の第一人者でした。

    温厚な人柄と生粋の江戸っ子で、べらんめえ調のユーモアあふれる授業で人気がありました。

     

    ちなみに今話題の東京駅を設計された辰野金吾博士は

    先生のおじいさんに当たり、写真で見るお顔はそっくりです。

     

    先生は「大学病院の研修生ならいろんな分野が体験できて、

    将来役に立つよ」とおっしゃいました。

     

    そしてちょうど募集していた日大付属板橋病院の研修生の試験に受かり

    半年間研修できるようになりました。

    やっと大学を卒業したところでまた無給の研修生は厳しかったのですが、

    娘の将来のためと応援しました。

     

     

     

     

     

     

     

    (写真 大学時代 実験室で)

    そして半年後、空きのなかった日大医学部付属板橋病院救命救急センターに

    見事就職できました。

    空きがない、という話でしたのであきらめていたのですが、

    後日、当時の薬剤部長が彼女の結婚式の祝辞でこう述べてくださいました。

     

    「救命救急センターというところは、野戦病院のようで毎日急患が大勢来て、

    職員も殺気立っているところです。

    その中でMの笑い声が皆の気持ちをほぐしてくれました。

    実は採用する予定がなかったのですが、そんなわけで特別Mを採用しました」と。

     

    おやおや笑い声で採用されたとは!!

    しかし救命中大きな声で笑っているとは?

    みなさん、笑い声で採用されることもあるのです。大いに笑いましょう!

     

    次回は「その3 MRSAの研究、脳低温療法の研究手伝い」です。

  • ある若い女性薬剤師の物語・1

    2014年2月4日

    これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。

    物語はある電話から始まります。

    その1 大学受験から薬学生、モデル時代

     

     

     

     

    「大変です!Mが薬学部の推薦決定の試験を受けてないことがわかりました!!」

    という、高校の担当の教師からの電話が鳴り響きました。

     

    聞くとトップで薬学部推薦になっていたが、最後の小試験を受けていない、と言うのです。

    理由を聞くと「自分の実力を試したかったから」

     

    それからが大変です。

    すでに各大学の入学試験は始まっていました。

    日にちのあう薬学部に片端から願書を出し、受験開始です。

     

    北海道から九州まで9つの薬学部に願書をだし、毎日受験です。

    飛行機で日本全国を飛びまわらなければならないか、と覚悟をしましたら

    遠隔地の大学は東京に受験場を設けてあったので助かりました。

    推薦をけった大学もまた受験し、面接で「ぜひ合格させてください」と言ったそうです。

    家族はそれを聞いて笑ってしまいました。

    しかし不合格。やはり実力相当だったのです。

     

    そして「桜散る」の電報が毎日届き、それを見てまた受験に向かう、

    そんな日が続いたある日「補欠合格」の電報が届き、

    夜中の2時ころ相変わらず飲んで帰館した父親が

    「みんな起きろー!!合格したあー」と大騒ぎ。

     

    そして遠い仙台の薬学部に入学。

    薬学部の入学金、授業料は高く生活費と合わせて仕送りをしましたが、

    十分な額は送れません。

     

     

     

     

     

     

    (写真 三井物産カレンダーモデル)

    生活費の足しにとアルバイトにモデルを始めました。

    4歳から高校三年生までクラシックバレーを習い、

    合わせて新体操もやっていたおかげか姿勢がよいのでだいぶ人気が出たようです。

     

    三越デパートのチラシの洋服のモデル、銘菓「萩の月」のテレビ、コマーシャル、

    三井物産の大型カレンダー、水着のポスターなど親に黙ってやっていて

    卒業したらベッドの下からそれらがいっぱい出てきました。

    仙台名物の七夕祭りの女王にもなりました。

     

    学校でも有名になり、

    卒業式の学長を囲んでの写真はふつう学長が真ん中に立つのですが、

    なんとMが真ん中に立ち、学長がMに寄り添うように立っていました。

     

    友達をとても大事にし、あるとき電話がかかってきました。

    「おかあさん、おかゆの作り方教えて」

    聞くと友達が風邪をひいて熱をだしたので、

    友達のアパートにいておかゆを作ってやりたい、と言うのです。

     

    「うちでもつくったことなんかないのにどうして作ってあげたいとおもったの?」と聞きましたら

    「仙台ではお母さんがいないから、お友達を大切にしないと」という返事でした。

     

    生涯友人や家族をとても大事にする人でした。

    しかし成績は360人中300番になり、

    4年生になり卒業試験、国家試験も間近になりました。

     

    それから猛勉強を始め60番になりましたが、卒業試験は落ちてしまいました。また猛勉強。

    国家試験の直前の再試の卒業試験にやっと受かり、

    勢いで難関の薬剤師国家試験は一回で合格しました。

     

    担任の先生は

    「卒業試験が落ちてよかった。受かっていたらMのことだから

    きっと遊んでしまって国家試験は落ちていただろう」と笑いながらおっしゃいました。

     

    実は高校受験の時も大騒ぎだったのです。

    この人は人生で受けなくてもよい試験を人の何倍も受けました。

    亡くなるときも受験勉強の直前でした。

     

     

     

     

     

     

     

     

    次回は「その2 日大板橋病院救命救急センター時代・・笑い声で採用される」です。

     

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